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私はウシ夫と一緒に暮らし始めて月日が過ぎていくうちに段々ウシ夫が結婚前に思っていた感じとは違うなぁと思い始めました。
そういえばまだ付き合ったりしていない頃、何かの集まりの時に「釣った魚に餌はやらない」とウシ夫自身が言っていて、女性陣から大ブーイングを浴びていたのを思い出しました。
とは言え冗句のような感じでみんなで笑っていたし、自分で言うくらいだからそうでもないんじゃないかと何となく思いました。
その時はまだウシ夫と自分が付き合うなんて思っていませんでした。
あれって本当の事だったんだわ、と思ったものです。
それに結婚した最初の頃は私もウシ夫に冗句を言ったり家事を手伝ってもらう様にお願いしたりしていましたが、私がウシ夫の事を笑ったり(バカにするような事ではなく)、ウシ夫がやりたくない事やタイミングで何か頼んだりすると怒鳴ったり不機嫌になったりするので、だんだん様子を伺いながら怒らせないように話すようになりました。
私は怒られたり機嫌悪くされたりするととても凹むタイプです。
ウシ夫は思いやりがなく冷たいと何となく思うようになっていきました。
でもこれはそういう訳でもなかったのかと後に思うようにはなったんですけどね。
ですからこのころ義母から
「ウシ夫さんは優しいでしょ?」
って聞かれた時に即答できず
「え?・・・あはは」みたいな返事をしてしまい、義母に変な顔をされました。
この義母に妊娠中に言われた事があります。
それは
「ほしこさん、母親は働いたらダメよ。母親が働くと変な子になるからね。
ウシ夫さんのいとこ達はみんな変になってまともなのはウチだけよ。」
と。
義母は学校を卒業したらすぐに花嫁修行をしてお見合いで結婚した人で一度も働いた事がありません。
私はウシ夫のいとこにあたる人達に会った事がないので良く知りませんが、その時代にしては珍しくみんな母親が働いていたそうです。まだまだ専業主婦が多数の時代でした。
そしてそのいとこたちは不登校だったり、就職しても直ぐに辞めてしまったり、結婚しても離婚したりみたいな感じの人が多かったようです。
(それを変というのか?とも思いましたけど。)
そんな事を言ったら私だって早くに父を亡くして母が働いて育ててくれたので“変な子”って事でしょう。
私は全くそうは思いませんでしたが、保育士として数年間働いた経験から、赤ちゃんが段々色々な事が出来るようになっていく本当に可愛い時期を自分であまり見れないのはもったいない、子供が小さいうちは自分で育ててその可愛さをたっぷり味わいたいと思っていたので
「そうですねー」
と答えました。
私が結婚した頃も『寿退社』なる言葉があって、まだまだ女性は結婚したら退職して専業主婦になる事が一般的な時代でした。
子どもが小学生くらいになってから再就職したりパートに出るみたいな感じでした。
またこんな事も言われました。
息子の出産予定日がウシ夫の誕生日の1週間前位だったのですが、ウシ夫の誕生日はウシ夫の他にウシ夫の祖父やその他にも同じ誕生日の親戚がいたのです。
そこで義母は
「やっぱりねぇ。初産の時は大体1週間位は遅れるものよ。うちの男の子はみんなこの日(ウシ夫達の誕生日)に生まれるって決まってるのよ〜。」
と言いました。
そんな事言われてもねぇ…。
残念ながら息子は予定日より2週間以上早く、義母の予想より1ヶ月近く早く生まれてしまいました。w
里帰り出産をしたので、私の母が義母に
「先ほど生まれました」
と連絡したら、第一声は
「もうですか?」
だったそうです。
他にも私はお腹が張りやすかったので、義母が遊びに来る時に
「お掃除があまり出来てなくて…」
と言うと私は「ウシ夫にも手伝わせなさい」みたいな返事を想像したのですが
「お掃除なんかしなくても死にはしないわよ」
でした。
息子(私からすれば夫)にお掃除させるなんてとんでもないことのようでした。
また、私がウシ夫があちこちの電気を点けっぱなしだったり扉を開けっぱなしだったりすることを愚痴った時には
「そうなのよ~、だからいつも私が消してあげてたわ~」
と嬉しそうに言いました。
私は「そうなのよ、まったくあの子はだらしがないんだから」みたいに同調してもらえるんじゃないかと思ったんですけどね。
それからウシ夫は何か飲み物を飲むたびに新しいコップを使い飲み終えたら流しにポンと置きます。
洗っても洗っても次々とコップが置いてあるのでお腹が張って辛い時に
「夜には私が洗うからその日に使うコップは一個にしてちょっとゆすいで次も使ってくれない?」
とお願いしました。
最初はフンって感じだったのが、急にチョチョッと水で洗って次も使うようになったのです。
それが嬉しくて義母にその話をしてしまいました。
そしたら義母は
「うんまぁ、かわいそうに」
と、コップを洗わされた息子の事を哀れんだのです。
これを聞いた時に私はウシ夫に家事をさせるのは無理だな、と悟りました。
とまぁ悪いことばかり書いてますが、いつもいつもこんな感じなわけでもなく、ウシ夫とも義母とも普通に楽しく会話することもあったわけで、だからここまでやってこれたのだと思います。