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転勤
私たち夫婦は結婚と同時にウシ夫の転勤で東京に引っ越してから約10年東京で暮らしていました。
ウシ夫は自分の地元の関西と私の地元に転勤の希望をずっと出し続けていたそうで、それ以外のとくに両方の実家から遠い所への転勤はNGと言っていたそうです。
そのかいあってか私の地元への転勤が決まりました。
私の地元はウシ夫が入社してから8年ほど勤務した場所でもあり、なぜか友達の多いウシ夫は私の実家へ帰省した時には地元の友達とも必ず飲みに行っていたのでウシ夫にとっても第二の故郷のようなものだと思います。
私はもう地元に戻ることはないだろうと思っていたのでウシ夫が
「〇〇に転勤が決まったでー」
といった時には
「ホント~?」
と大喜びしました。
年老いた母もいるし仲の良かった友達、一緒の趣味で頑張っていた仲間たちとまた一緒の時間を過ごせるのです。
子どもの言葉
ですがその時にウシ夫が言った一言でその喜びに水を差されてしまいました。
それは
「でも、子どもたちが〇〇弁をしゃべるようになったらいややなぁ。可愛くないな。」
〇〇弁、私の地元の方言。
ウシ夫だって結婚前に住んでい頃は関西弁と〇〇弁の変に混じった言葉をしゃべっていたのに。
そりゃあなんとなくわかりますよ。
関西出身のウシ夫と地方都市出身の私の子どもが東京で
「ぼく〇〇なんだよ」
「〇〇しちゃったんだ」
なんて標準語というか東京の言葉でしゃべるのをなんだか可愛く思っていたのでそれがなくなって〇〇弁になるのは少し惜しい気もしましたから。
でも、その土地出身の私に向かって
「いややな」
まで言わなくてもいいじゃないですか。
そういうところが他人の気持ちがわからないと言われるところなんでしょうね。
実際、息子の方はしばらくの間は〇〇弁交じりの標準語みたいなのをしゃべっていましたが、当時まだ3歳だった娘の方は地元の人でもお年寄りなら使うけど若い子は使わないだろうみたいなゴリゴリの〇〇弁をあっという間に覚えて使うようになりました。(笑)
いったいどこで覚えたんだろう。
私でも使ったことがないような言葉です。(≧▽≦)
おわりに
子どもって順応するのが早いですよね。
私は時々帰っていた地元とはいえ、東京での日々の暮らしに慣れていたので久々に暮らす地元は浦島太郎気分で、主婦や母親としての目線では最初は不自由を感じることも多かったです。
すぐに慣れましたけれどね。
そしてこのころはまだ私の方が助けてもらうことが多かった母もその後歳を取り、どんどん弱ってきた母の傍に居れるようになったことはとてもありがたいことでした。