カサンドラな私の熟年離婚

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叔父の葬儀

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ご訪問いただきありがとうございます。

 

前回は私の結婚前の家族について書きました。

私のとって歳の離れた兄のような存在の叔父が急逝しました。

この記事の続きです。⇓

hoshico2525.com

 

初めての方はよかったらこちらからご覧ください。

https://hoshico2525.com/entry/self-introduction

 

叔父の葬儀

 

叔父の急逝の知らせを受けて母たちきょうだいはすぐに叔父の家族が住む隣県の叔父の家に向かいました。

 

私は子ども達を連れていく関係上翌日の葬儀に行くことにし、子どもの小学校や幼稚園に明日休む旨を連絡したり、翌日の自分や子どもたちの服、葬儀の参列するのに必要なものなど準備をしました。

 

ウシ夫にもメールで叔父が亡くなったことを伝え翌日葬儀に行くことを伝えました。

 

そしてウシ夫が帰宅したときに明日の打ち合わせをしようと話を始めました。

 

明日の出発時間。

我が家の8人乗りの車で従弟も一緒に行く予定であること。

 

話しているとウシ夫がこう言いました。

「明日?平日やろ?俺は行かんで。」

 

ウシ夫の考え方

 

私は当然ウシ夫は行くものだと思い込んでいました。

 

と言うのもこの数か月前に私の父方の伯父が亡くなりました。

 

この伯父の家は同じ県内でしたが少し離れていて車で高速道路を小区間利用し1時間ちょっとかかるところでした。

父方の親戚とはお付き合いはありましたが父が早くに亡くなったためにそれほど頻繁に行き来するわけではなく、ウシ夫も何度かは行ったことがある程度でした。

 

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その伯父の葬儀には車を運転し私の母や叔母なども乗せていってくれたのです。

 

なので同じように今回の叔父の葬儀にも一緒に運転して行ってくれるものだと思っていました。

ましてや兄のような関係の叔父です。

 

ただ先に亡くなった伯父の葬儀は土曜日だったのです。

ウシ夫は仕事が休みだったから行ってくれただけでした。

 

今回の叔父の葬儀についてウシ夫が言うには

自分は数回しか会ったことがなく話した記憶もない。

平日に仕事を休んでまでは行かない。

子ども達まで連れていくのか?学校や幼稚園を休ませて?

お前だけ行けばいいじゃないか。

といったことでした。

 

私にとっては兄のような叔父です。

私の子ども達のことも会う機会は少なかったけれどいつも気にかけてくれて成長を喜んでくれていました。

 

私は子ども達に伯父の時と同じようにいえそれ以上に葬儀に出て欲しかったし、それに早朝から出かけて帰りはおそらく夜になるのではないかというスケジュールなのに幼稚園と小学校低学年の子どもをおいて私が一人出かけたらだれが送迎や食事の準備をするのでしょう。

自分は夜9時頃しか帰らないのに。

 

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そんな風に自分のいない時間帯の私たちの行動を想像することもできずに平気でそういうことが言えるのが信じられませんでした。

 

そして何より妻の近しい親戚です。

兄のように思っていた人を亡くしてショックを受け悲しんでいるのです。

 

たとえ自分は数回しか会ったことがなく良く知らない人でも、妻の大切な人なら妻をねぎらう意味で葬儀に参列しようとか思ったりはしないのでしょうか?

 

例えば友人のお母さんが亡くなったりした時、一度も会ったことがなくても友人の悲しみを思って葬儀に参列するなどということもありますよね。

 

でもこの辺りは人によって考え方は様々なのかも知れません。

 

考え方は家によってそれぞれ

 

実際、ウシ夫の伯父さんが亡くなった時に連絡を貰って私はすぐに行くつもりで準備を始めましたが、義母から内々ですると言ってるので来なくていいと言われました。

距離が遠いこともあってか、ウシ夫だけが行けばいいのかと思ったらウシ夫も行きませんでした。

コロナ禍の今ならそう言う事も多いかも知れませんが10年以上前の話です。

 

ウシ夫の家族は仲が良いですが親戚とはそれほどお付き合いはない様子。

そういう感覚が私の方とは違うのだろうなと思いました。

 

なので葬儀の時に親戚たちから「ウシ夫さんは?」と口々に聞かれましたが「どうしても抜けられない大事な会議があるので今回は失礼させてもらいました。」と断ってばかりいました。

だからといってそのことをとがめられたりする事はなく「それは大変ね。」と理解を示してもらいましたが。

 

ただ私の方の親戚はこういう時には姪の婿であるウシ夫は来るであろうという考え方で、私もそう思っていました。

 

でもこれはどちらが正しいとかは無いのだろうと思いました。

 

ウシ夫にはもうこのことは触れませんでしたが、私の気持ちとしてはやはり家族って何なのだろうなということが心の奥でずっとくすぶる出来事となりました。

 

まだ「家族とは」と思った話は続きます。