カサンドラな私の熟年離婚

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私も大切にしている元の家族

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こちらの記事の続きです。 過去記事となります。 ⇓

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私の元の家族

 

前回の記事ではウシ夫の家族は仲が良く、妻や子どもという今の家族よりも自分の生まれて育った家族がいつまでも自分にとって第一の家族なのだろうということを書きました。

 

自分の生まれ育った家族を大切にすることはもちろん良いことだと思います。

私にも大切な元の家族はあります。

 

私が生まれた家は、私が生まれたころは大家族だったと言えるかもしれません。

 

その家は私の母の実家でした。

母の両親は早くに亡くなり、母は五人きょうだいの一番上でした。

母親が先に亡くなりその後父親も亡くなった時に、母は高校生で一番下の弟である叔父は3歳だったと聞いています。

 

きょうだいと母たちの祖母の6人家族の家に私の父がいわゆるマスオさんとして一緒に住むようになり、母の妹たちは結婚して家を出、私が生まれた時は両親と私からすればひいおばあちゃんと母の弟二人が暮らしていました。

母の弟、いわゆる叔父さんにあたりますが、上の叔父が高校生、下の叔父は中学生でした。

 

磯野家でいうならば私はタラちゃんの立場で、叔父たちはカツオでしょう。

 

その後ひいおばあちゃんも亡くなり、私の父も早くに亡くなってしまいました。

 

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二人の叔父

 

父が亡くなったころは下の叔父は就職して家をでていて、上の叔父も一度家を出ていましたが、その頃は戻ってその数年後に結婚するまで一緒に暮らしていました。

 

上の叔父は亡くなった父の代わりに幼稚園の運動会などの父親との競技などに出てくれました。

また船舶の免許を持っていてよく船に乗せてくれていたのを憶えています。

私の父が同じように叔父たちを船に乗せたり釣りに行ったりと可愛がっていたそうです。

この叔父の友人たちがよく家に遊びに来てみんなでとても可愛がってくれたこともよく憶えています。

 

下の叔父は私は憶えていないのですが、小さかった私の髪をよく三つ編みにしたりしてくれていたそうです。

朝寝坊しているのを私が部屋に行って背中に飛び乗るなどしてたたき起こしてたことは少し憶えています。

他に憶えているのはデートに連れて行ってくれたこととか、『エクソシスト』という映画になぜが私を誘って二人で観に行ったことです。

他に一緒に行ってくれる人がいなくて一人では怖いとかだったのでしょうか?ww

 

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みんなが家を出た後は母との二人暮らしになりましたが、母の五人のきょうだいは仲良しで、お正月にはみんな我が家に集まったり、いくつかの家族で旅行に行ったりしていました。

 

夏休みなどに子ども達だけがどこかの家に行き長期で過ごしたりしたので、いとこ達とも今でも仲良しです。

 

ショックな知らせ

 

その叔父とはいえタラちゃんにとってのカツオ、ちょっと歳の離れた兄のような存在の下の叔父が脳出血で60歳という若さで急死しました。

 

叔父の家族は隣の県に住んでいました。

 

とてもショックな知らせで、私はあわてて通夜や葬儀に行く準備を始めました。

 

母や近くに住む叔母、もう一人の叔父はすぐに亡くなった叔父の家に向かいましたが、私が子連れで行って泊まるとなると泊まる場所のことや子ども達も疲れるなどの理由で私たちは翌朝早くに出て葬儀に出るということにしました。

 

長くなるので続きます。

 

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